| 北田 康弘さんインタビュー記事 カトリック新聞 2005/2/6 |
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「自分にしかできないことがある。自分にしか演じられない人生がある。 だから皆も自分らしく生きてほしい」。
クラシック界では、声楽も楽器演奏もできるプロは珍しい。昨冬、完成した北田さんの初CDアルバム『ことりがそらを』は、バッハの名曲「G線上のアリア」から井上陽水の「少年時代」に至るまで、全十七曲を通して、「コンサートに行ったような気分」にさせてくれる秀作だ。彼の歌声とピアノの音色は、心にずしんと響く。 妻の陽子さん(37)も「うーん、いい声ですよね」と率直に語る。陽子さんは、音大時代の同級生で、コンサートでは北田さんの専属ピアノ伴奏者を務める。「音楽家・北田康広」のファンでもあり、最高の理解者だ。陽子さんは、北田さんの音楽の魅力をこう語る。 「内面から溢れ出る音楽がそのまま音で表現され、喜びや悲しみなど全てがその音楽の中で昇華されていくようなところがあります。それが顕著に表れているショパンの演奏はとても素晴らしいですね。また、優しい歌声は心地よく耳に響いて安らぎを感じます。」 二人のなれ初めは、音大時代。出会いは雨の通学路。白杖を手にずぶぬれになっている北田さんに、陽子さんが傘を差し出したことがきっかけだった。以来、二人は人生の最高のパートナーとして支え合って生きている。 北田さんのしゃべりは柔らかな関西弁。ダジャレと笑いが入り混じり、「芸術家」のお堅い<Cメージをいとも簡単に壊してくれる。 ★医療ミスで視力を失う 北田さんは、出生後間もなく入れられた保育器で、酸素量の過多により未熟児網膜症になった。そして5歳の時に打たれた薬の副作用で失明してしまった。 「『眼底を開くいい薬がある』と言われ、高価な注射を打ちました。そうしたらはっきりと見えて、うれしくて飛び回ったり、走り回ったりして。僕の記憶として残っている『見えた世界』は、そのころのものでしょう。薬を四、五回目に使った数日後、『パチン』と音がして、ヒューズが飛んだように目の前が真っ暗になってしまいました」 北田少年が失明してから、両親のけんかは絶えなくなった。母親は息子の目を治したい一心で、キリスト教系の新興宗教にのめり込み、父親は酒と金に我を忘れた。6歳から入学した地元・徳島県立盲学校の寮は、全国一厳しいと言われ、徹底した管理教育と体罰、そしていじめなど、「牢(ろう)獄と言ってもいいような生活」だった。
★音楽が唯一の慰め 週末に帰宅すれば、待っていたのは両親のけんか。10歳の時に親が離婚し、母と妹と離れ離れになってしまった。北田少年にとって、心休まる場所はどこにもなかった。唯一の慰めは、「音」の世界だった。 「子どものころから、がさついた家庭環境にいたので、どんな単純な音やメロディーにも、すぐ心が響きました。テレビで聞き覚えたCMソングや歌謡曲をボロボロのオルガンでまねてみたりして、楽しかったですね。音楽で生活できなくても、音楽をずっと続けられる道はないかなとずっと考えていました。でも、基本的に盲学校の目指す教育は、鍼灸(しんきゅう)の世界で食べていけるようになること。だから先生からも『音楽は趣味程度でいいんだ。いくらやっても、盲人にできるわけがない』と言われちゃいました」 高校一年の時、転機が訪れた。暇さえあれば音楽室でピアノの練習をしている北田少年に、転任一年目の吉村孝雄先生が声を掛けてきた。 「音楽がなければ、キリスト教が成立しないくらい、音楽は重要なもので、神への賛美の一つ。音楽はうまく使えば、人の心の癒しや慰めになる。魂を揺り動かす、神から与えられた最高のもの。それができるのは素晴らしいことで、君にしかできない音楽もある。たとえその道を選ぶ人が、盲学校で君が最初の人間でもあきらめるな」 吉村先生は、無教会派の信者で、公立の学校で堂々とキリスト教の伝道をして、後に強制的に転任を余儀なくされた信念の人≠セった。理数の教師でありながら、神学と語学にも秀でていた。 「理数の時間でも、参考資料として聖書と信仰書を配り、感想を書かせる。理由は『科学は人間が作ったもので、それだけやると、原爆を作るなど、人類は傲慢になる。人は心が大切。だからキリスト教を学ぶ必要があるんだ』と力説していました。ちょっと行き過ぎの面もありましたが、他の先生や生徒と違い、僕を人間として対等に見てくれた初めての人。先生には祈りの姿勢や、ほかの人とは違う雰囲気がある。この先生を信じてみようかなと思いました」 ★一念発起して音楽の道へ その後、国立筑波大学附属盲学校の音楽科に進みたいと、受験勉強を始めた。吉村先生は、「できる限り応援するし、祈っている」と励まし、受験英語の教材に、英訳聖書や問題集を使用しとことん付き合ってくれた。 後に、北田さんは附属盲学校を経て武蔵野音楽大学ピアノ科に進学する。同時期に、今では有名なキリスト教信者のテノール歌手、新垣勉さんも点字受験。その新垣さんとは、視覚障がい、両親の離婚、音楽への夢など共通点がたくさんあった。音大時代は、新垣さんから声楽の基本を教えてもらった。
★「神の栄光の業」に希望見いだす 北田さん夫妻が洗礼を受けたのは、十二年前の復活祭の時にさかのぼる。それ以来、伝道コンサートを続けている。 「二人共、音楽より、信仰が大事なんやというのが前提にあるから、お互い同じ音楽をやっていても競争しないで、大事なところで同じ方向(神様)を向いていられます」 幼いころは、キリスト教を毛嫌いしていた父親から、無理矢理、神棚を拝まされる迫害≠受けたこともある。それでも、北田さんの心からキリストが離れなかったのは、ヨハネ九章の「生まれつき目が見えないのは、神の業が行われるためである」という聖書のことばが支えになっていたからだ。 「神のみ旨が行われるために、自分に与えられた音楽で人々に生きる勇気を与え、励まして生きていきたいです」と北田さんは話す。 北田さん夫妻は、現在も全国各地を回り、「表面的なことで人間の価値は決まらない。マイナスと思われるところが、プラスに変わる。自己ベストを目指して、こつこつと自分の世界を積み上げていってください」と人々を励ましている。 |