| 悠遊自在塾 東京第三回クルーズ 6月度資料 ... |
塾長・塾生間の交換メールより
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「顕微鏡と望遠鏡と羅針盤」
■2004.5.28 「楽しく、有意義なひと時、有り難う!」(鴨宮弘幸 塾長) 先日は、南北アメリカ大陸からの珍客(!?)と夕食懇談ができて、楽しかったです。 宇宙船地球号の乗組員である私たち! キリスト教的にいえば、「ノアの箱舟」の同船者!(かな?) 宇宙から地球を見る。 地球から宇宙を見る。 全体から個をみる。 個から全体を見る。 現在から過去を見る。 現在から未来を見る。 過去から現在を見る。 未来から現在を見る。 私たちの「いのち」を如何に使うか? ・・・ 私たちの「使命」とは? 今(この時)! 地球(この場)で! この命を如何に使うか? 平たく言えば、どんな「人生観」を持って生活するかですよね。 これでも硬いので、私は「思考軸」といっているのです。 私たちは毎日、瞬間、瞬間に判断し、決断して実践しなければなりません。 つまり、足元の細々したことにも敏速に対応しなければなりません。 また、未来に対する夢と希望(目標)も持たねばなりません。 譬えていえば、「顕微鏡的思考」と「望遠鏡的思考」と言えるのではないでしょうか。 この顕微鏡と望遠鏡に「羅針盤」があれば鬼に金棒ではないでしょうかね。 一人一人が「顕微鏡と望遠鏡と羅針盤」を持って生きていく。 他人のもの、借り物ではダメですね。 自分のものを持って、何時でも何処でも自在に使いこなせるように訓練しましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2004.5.29 「感謝を込めて!」(鴨宮弘幸 塾長) 五年前、セントラルホテルで会食をしましたね。企画調整会議の発足でした。 その時の私の気持ちは、「法華経」を勉強する仲間がほしかったのです。 求道する仲間を作りたかったのです。 仏教信仰とは、真理、教えに帰依することだと思っていたからです。 「人帰依から法帰依」の信仰活動をすべきであるからです。 「真理」の探究こそが、修行だからです。 会長先生が法灯継承以来、一貫してご指導されている「法の認識」です。 組織をつくったり、行事活動をするのが目的ではありません。 法の認識ができれば、何をどうしなければ成らないか? 自然と、自ずから出てくる、決まってくるのです。 理想、思想、構想が一貫するのです。 明治維新を達成した幕末の志士たちの活躍もさることながら、 「草莽の臣」と言われる名も無き庶民がいたことを忘れることができません。 私は、今まで教育は上からと思っていました。 組織のトップや幹部と言われる人たちが変わらなければダメだと思っていました。それも大事なことですが、名も無き力もなき大衆が「世」を変えるのでしょうね。 そんなことを痛切に感じている、今日、この頃です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2004.5.29 「Re:感謝を込めて!」(塾生A) ブラジルに着任して早まる1年になろうとしております。 その間さまざまな素晴らしい体験をさせていただきました。無我夢中の1年でした。その間、先生からはコメントはいただけませんでした。 時が変わり、先生は先生のお心の中(お考え)を発露されるようになりました。それは私にとって喜びであります。 今回、特に学ばせていただいたのが「私の軸足が『法の認識』に置かれていたか否か」という点でした。ついつい目の前の現象に振り回され、「組織づくり」と「行事の運営」にアクセクしている自分であったと気づかせていただきました。 また、新たに『顕微鏡的思考』と『望遠鏡的思考』という言葉を教えていただきました。 鴨宮語録の一つに加えたいと存じます。「思考の広がり」は人格(心の器)の広がり・・・とも感じております。「法の認識」を通して「思考の広がり」に取り組みたいと存じます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2004.5.31 「三つ目の思考」(塾生B) 鴨宮塾長さんの「顕微鏡的思考」と「望遠鏡的思考」のお言葉を読み、小生の思考シナプスがうずき始めました。 「顕微鏡的思考」も「望遠鏡的思考」も、原理は同じですよね。 違いと言えば、対象を地上(現実)に求めるか、天上(理想)に求めるかです。 そして実はどちらも視野は狭くなりがち?・・・。しかも、対象物と自分を固定していなければ、鮮明な画像は見られません。そこに、思考する際のエアーポケットがあると思うのです。(違うかな?) 対象を固定したものと考えたり、自分の視点だけを固定させていると、変化・流動する対象を正しく捉えることができず、ブレたり、歪んだりするかも知れません。 よく「動体視力」という言葉がありますが、刻々と瞬時に変化し、動き回る対象を的確にキャッチするには、その二つの思考とともに「単眼」ではない三つ目の「複眼的思考」が必要になってくると思います。 つまり、一つの価値観に固まらないゆとり、余裕、こころの豊かさ、寛容さなどです。仏教的に言えば、天眼・仏眼でしょうか? そうした、ものの見方、考え方、感じ方を教えてくれる「羅針盤」が「法華経」だと思います。 それは言うは易しで、日常生活の上で身に付け、活用することは至難の業かも知れませんが、そうであることをまず「頭」で理解し、「心」で認識していきたいと思っています。 結果を急ぐあまり「作」の「アクセル」を踏み過ぎず、環境・条件・縁への対応に「アクセク」しないで、あくまで『法』(宇宙の真理・法則)を求道し、認識を広く深めようとしているメル友に「アクセス」していきたいと思っています! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2004.6.1 「Re:楽しく、有意義なひと時、有り難う!」(塾生C) 先日は、貴重な懇談の機会に御仲間入りをさせていただき、誠にありがとうございました。 「顕微鏡的思考」と「望遠鏡的思考」と「羅針盤」・・・何だか、このままで教材…。 次回は、どのような命の清水が湧いてくるのでしょうか。 ふと、机の上に掛けてある水墨画のカレンダー?を見ると「Always two with God」(神様といつもふたり…)という文字が入ってきました。 マザーテレサは毎朝、カルカッタの聖堂で祈りを捧げていたと言います。 その祈りは、次のように始まる聖フランシスコの祈りの終わりに、続けられたものでした。 「貧困と飢えの内に生き、死ぬ、世界中の同胞のために働く私たちを、その手にふさわしい者にしてください。 憎しみのあるところに愛を 争いのあるところに許しを 分裂のあるところに一致を 誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください…」と続いて、 マザーは毎朝次のように付け加えて祈られたとのこと。 「人々が私を見て、私を見ずに、神そのものを見ますように…」 この命、何に使うか。どう生きるか、目前に起る現象をどう捉えるか…。 日々の生活も決断の連続。借り物の顕微鏡と望遠鏡と「羅針盤」ではとても間に合うものではないことを実感いたします。 互いに自分の人生の羅針盤に気付き、自在に使いこなして豊かな人生を歩ませていただきたいものと祈ります。 塾長さんの宝蔵殿から出てくる資料を、心より御待ち申し上げております。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2004.6.1 「私の羅針盤!」(鴨宮弘幸 塾長) 皆様、お元気ですか。三者三様、それぞれの波動が伝わってきます。 先日のメール「三つ目の思考」のことですが、「原理は同じですよね」というところは同感です。 しかし、「・・・・『現実・理想』に求めるか、」の部分は、私が言いたかった意味、切り口と言おうか思(視)軸が違うと思うのですが・・・ 顕微鏡とは、足元の細々とした現象を正確に・迅速に・ありのままに・分析する働きです。そして現実の娑婆(地球)で生活している私たちの生き方に必要な「思考の仕方」をいいたかったのですが・・・ 私たちの一生は、一日一日の積み上げです。 八十歳まで生きるとすれば、80(年) × 365(日) × 24(時間) =??? (計算してね!) 一日を大事にする。 「今が本番!」という考え方を「顕微鏡的思考」と言いたかったのですが! 「臨終のときを思うて他事を習うべし」とは、日蓮上人のお言葉ですが、 人生の最後(臨終)、最終目標を立ててそれに向かって一日一日努力する。 理想とか目標とか目的というものを確立するための努力、そのための求道、研鑚、思索、修練を「望遠鏡的思考」と言いたかったのです。 つまり、「思考」の方向ですね。 東西南北、上下左右、十法世界ですね。 立体的に「思考する」ということでしょうか! 「対象物と自分を固定していなければ、鮮明な画像は見られません」とのことですが、カメラに例えれば、手振れしていると画像はボケてしまいます。 しっかりと両手で固定していないとね。 事実は事実として「ありのまま」にキャッチする。 大事なことは、現象、事象に「価値」を付けないということではないでしょうか? 損得・善悪・優劣・美醜・聖俗・・・ etc. 『二法あることなしと観察すべし』ですね。 人生観を確立するためには、手振れを防がねばなりません。 三脚にしっかりと固定して被写体に向かう必要があります。 それが『羅針盤』ではないかと思っております。 私たちの人生に起生するさまざまな出来事は、すべて「在り難いもの」であり、「必要なもの」である。という「見方、考え方、感じ方」をしっかりと固定する。それを日常生活の「習慣」になるように昇華する。 そうなった時、私の「羅針盤」が持てたことになるのではないでしょうか。 結果を急ぐ必要はありませんが、「作」は大事だと思います。 「相・性・作」の一致です。 「姿・形」と「心や精神」と「動作・作用・実践」が一貫している人間でありたい。 『法の認識』が広まり深まれば、「相・性・作」は同時に進化するはずです。 そして相乗効果を生み出してくれます。 相、性、作が互いに影響し合うのです。 どれが先で、どれが後という事はないはずです。 ミラートレーニングによって楽しい気分になり、親切行によって心豊かになり、 円満な人格を形成する一助と成ることもあるのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2004.6.1 「塾長さんの獅子吼に感謝」(塾生B) 小生の「三つ目の思考」という問い掛けに対して、こんなにもエネルギッシュに丁寧に塾長さんの思い、御心、言いたかったことをお説きくださり、期待以上のパワーで、広大無辺な真理を自由自在にお分け頂き、ただただ言葉にならないくらいの衝撃で、感動、感激しております!! 心情的には、神聖なる神秘の扉が開いてしまった! 不動山が動き出してしまった! 大光明が輝いてしまった! という感じで、お釈迦さまの獅子吼に腰を抜かしてしまったような思いです。 <宇宙の真理・法則>をこれから「悠遊自在塾」で学んでいこうという中で、 1.因果の法則、2.縁起の法則、3.十如是の法則をお説きいただく上で、塾長さん独自のオリジナルな切り口になったかな!!という気が強くいたします。 ぜひ、悠遊自在塾でも直にお言葉でお説きいただきたいと思っております。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2004.6.5 「Re:私の羅針盤!」(塾生C) いただくたびに、命が喜ぶメール……。 特に『二法あることなしと観察すべし』ということについて、夢にまで見てしまいました。 この銀河系宇宙は、生成発展する緩やかな開放に向かっている。収縮方向ではない。全ての命は上昇発展する方向を既に命の根本として持っているのである。 従って一切がそのプロセスの一点であり、損得・善悪・優劣・美醜・聖俗・・・ 『二法あることなしと観察すべし』なのである…とかなんとか。 一切をそのままに見よ。全てが上昇発展のために配置された絶妙なるはからい。どこかを斬れば、その断面(一面)を見るに過ぎないのである。それを全てである、絶対であると思う事なかれ。それは深遠なる多面多重無限構造のひとつかけらを見ているのである…とかとか。 それで、「うううう?ん、じゃあ、あのことはどうなるの?…ムニャムニャ」等と、夢の中で朦朧と質問したら、パカリンと目覚めてしまいました。 法華経に言う『二法あることなしと観察すべし』、もっともっと学ばせていただきたいです。いよいよ凄い真理に触れていくぞ?! 最近、こんな言葉を見つけました。 「”信仰”と言う言葉は宗教的な色彩が濃厚だが、どのような教義にも宗派にも関係がない。それは永遠の真理と原理の観点から考えるという思考方法のことなのである」 ジョセフ・マーフィー 今週初めより、毎朝ジョギングを45分、縄跳びを開始しました。 それで、成すべきことができないという深刻な事態が起ったのか…というと、そんなことはなかったのです。2キロもスリムになり、且つ体脂肪率3%減! 自分にはめた檻のような小さな断定枠を捨てることを実践し、「悠遊自在塾」の宇宙栄養にて、勝手に元気になっている塾生です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2004.6.10「草莽の臣・検索有難う!」(鴨宮弘幸 塾長) 「草莽の臣」についての検索対応、有り難うございました。 近代日本の礎を築いた歴史上の人物には、西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬
etc・・・ 多くの有名人がいます。しかし、歴史的転換が大きければ大きいだけ、底辺は広いはずです。多くの「名」も無き人々がいたはずです。 「賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う」とはドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉です。本当に歴史は面白いですね。様々な問題意識を提示してくれます。 歴史上に名を残した人物の人生と、名も無き人の一生の「価値」を比べることが出来るでしょうか? 「人」の「いのち・人生」の価値は、同等であるはずです。 「何を成したか」と言うよりも「如何に生きたか」に思(視)軸をおくべきだと思うのですが・・・ 情報化時代といわれる現在、世界中の一人一人が主役になる時代が到来したと思います。 <地涌の菩薩>がいよいよ出現する時代です。 地位も無い、金も無い、力も無い、しかし、いつもニコニコ輝いている! そんな人に私はなりたい!!! しかし現実は、地位や名誉も欲しい、もちろんカネも欲しいし能力も欲しい私なのです。どちらも本当なのですよ! 実を言うと、「三つ目の思考」への返信をするとき、躊躇することがあったのです。私からのメッセージを縁にして「自分の世界を展開して素晴らしいね!」と言うべきか? 私の世界を正しく理解してもらうべきか?・・・「塾長さまの獅子吼に感謝」のメールを頂きホットいたしました。 そんな私たちの隙間に純白なCさんが潜入して下さり、絶妙の味付けが出来ました。美味しい料理になったように思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■2004.6.10 「第三回クルーズ資料(私案)」(鴨宮弘幸 塾長) 早いものですね! 「悠遊自在塾」が、三回目を迎えようとしています。 宇宙の真理・法則を求道される皆様方に感謝申し上げます。 皆様の熱き真心のお蔭で、宇宙のエネルギーを頂戴しております。 本当に、宇宙のエネルギーは無限ですね。 汲めども尽きぬ、広大無辺の真理の世界を遊泳しているようです。 アポロ宇宙船の宇宙飛行士が、大気圏の外に出たとき 「私たちの今いる世界には、上も下も、北も南も、東も西もありません」 と言ったそうです。 無重力の宇宙空間では、どちらが上でどちらが下なのか?・・・ 地球上での常識というか、概念というか、規定というか、、、 今までの価値観では考えられない事実に出会ったのです。 宇宙から見た地球とは?! 宇宙から見た私(人間)とは?! 今までの価値概念の「枠(わく)」を取り外してみる努力、、、 それを仏教では、「無我の実践」と言うのではないかと思うのです。 今まで固定していた価値概念をいったん破壊してみることです。 しかし、ここで注意しなければならないことがあります。 それは、固定していた価値観や概念を自分以外の「もの」や「こと」に当てはめない! ということです。 つまり、固定しているのは、自分自身なのです。 自分自身が固定している価値観や概念を破壊することです。 『一切の諸法は念念に住せず新新に生滅すと観じ、復即時に生・住・異・滅すと観ぜよ』 (法華三部経 P.11) そうすれば、真実(実相)の世界に安住することができる。 そして、多くの人々の苦しみや悩みを取り除くこともできる。 『諸々の衆生をして快楽(けらく)を受けしむ』とあります。 「快楽」とは、精神的な喜びがあり、生活に充実感があり、生き甲斐に満ちていると言うのです。 四人のメールを活用できれば素晴らしいですね。 |