悠遊自在塾       2006年1月度
                                  
(東京塾第20回)

 鴨宮塾長 人生放談 「こころの語らい」
       塾長と塾生の交換メールの一部をご紹介しています。

Subject: 新年を迎えて!
Date: Wed, 3 Jan 2006

 

敬愛する悠遊自在塾の皆さまへ

 

あけましておめでとう御座います。

新しい年を迎えて夢と希望に満ちていらっしゃることでしょうね。

 

昨年末は、日本列島を人間不信の嵐が吹き荒れた観がありました。

耐震偽造事件、少女殺害事件etc...

日本人の精神構造はどうなったのでしょうか?・・・

昨年の暮れに紹介した藤原正彦著「国家の品格」から学んでみたいと思います。

 

☆ 無常観というのはもともと、インドのお釈迦様が言ったことです。

 お釈迦様の言う無常は哲学です。万物は流転する。

永遠に不変なものは存在しない。どんどん変わってしまう。

 いまあなたがいる建物も必ず朽ち果てる。

 あなたの周りの人間も百年後には誰もいない。

 何もかも永遠に同じ形を保つことは出来ない、という当たり前ともいえる

 哲学です。・・・(略)

  

  北インドから中国を通って日本に来た無常観も変質を遂げました。

 日本人の無常観は、「すべては変わりゆく」というドライな達観から派生して、弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した。

ドライな達観が、儚(はかな)く悲しい宿命を共有する人間同士の連帯、そし     て不運なものへの共感へと変質していったのでしょう。  

 『平家物語』の中に、武士道の典型として新渡戸稲造の『武士道』の中でも

 引用される有名な場面があります。一の谷の合戦の際、熊谷直実が敵の平家 の武将を捕まえた。殺そうと思って顔を見ると、まだ若い。

 十五歳の平敦盛だった。・・・(略)

  

  このような敗者、弱者への共感の涙。これが日本の無常観にはある。

 お能の「敦盛」が今でも延々と演じられているのは、こういう無常観、

 武士道でいう惻隠に近いものが今でも日本人の心の中に流れていて、

 心を揺さぶられるからでしょう。

 

  この無常観はさらに抽象化されて、「もののあわれ」という情緒になりました。

 日本の中世文学の多くが、これに貫かれています。すなわち人間の儚さや、

 悠久の自然の中で移ろいゆくものに美を発見してしまう感性です。

 これは大変に独特な感性です。

  上記 ☆は、藤原正彦著「国家の品格」新潮新書 P.99〜P.101より抜粋

 

お釈迦様の悟られた「無常観」をも日本独自の「もののあわれ」という情緒にまで育て上げたと、彼は言うのです。

日本人は、何でも日本独自のものに仕上げるという特質を持っているのですね。

お茶を飲む、花を生ける、字を書くという当たり前の事を、<茶道・華道・書道>という芸術に昇華する能力を持っている。

日本人の感性のすばらしさです。

 

現在の日本は、殺伐とした競争社会、勝ち組・負け組みという格差社会です。

どうしたら、このような状況から脱却できるのか?・・・

それは、「武士道精神」を復活させることだと、彼は主張しているのです。

 

☆ 武士道は鎌倉時代以降、多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能し  てきました。この中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。惻隠とは他人の不幸への敏感さです。

 それに加えて「名誉」と「恥」の意識もあります。名誉は命よりも重い。

 実に立派な考え方です。この武士道精神が、長年、日本の道徳の中核をなしてきました。

  武士道はもともと、鎌倉武士の「戦いの掟」でした。いわば、戦闘の現場におけるフェアプレイ精神をうたったものと言えます。

 しかし、二百六十年の平和な江戸時代に、武士道は武士道精神へと洗練され、物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して、町人や農民にまで行き渡ります。武士階級の行動規範だった武士道は、日本人全体の行動規範となっていきました。・・・ (略)

   武士は武士道精神という美徳を最も忠実に実践しているという一点で、人々に尊敬されたのです。金銭よりも道徳を上に見るという日本人の精神性の高さの現われです。

 騎士道はキリスト教の影響の下に生まれましたが、馬に乗って戦うことがなくなると、イギリスでさらに諸々の要素を加えて深みを増し紳士道へと発展しました。騎士道と同様、武士道にもさまざまな精神が流れ込んでいます。

  まず仏教、特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、生を賤しみ死に親しむ心を貰いました。儒教からは君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の間の「五倫の道」や、為政者の民に対する「仁慈」を取り入れました。神道からは、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などの美徳を取り入れました。

 最も中心にあるのは、日本に昔からあった土着の考え方です。日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動規範を持っていたのではないかと思います。  

  上記 ☆は、藤原正彦著「国家の品格」新潮新書 P.116〜P.119より抜粋

 



現在の日本は、古来から持っていた感性のすばらしさと、江戸時代に武士道精神として日本人の行動規範になっていたものが崩壊してしまった。と言うことです。

日本人が古来から持つ「情緒(感性)」と伝統に由来する「形(道徳)」という行動規範を再吟味する必要があるのではないでしょうか。

戦後六十年の節目を迎えた今日、私たちは日本人として思考軸の確立を目指したいです。

 

正月二日、十時間ドラマ「江戸三代の陰謀・天下騒乱」を見ていました。

土井利勝、柳生十兵衛、荒木又右衛門が主役の物語でした。

荒木又右エ門を通して武士道とは何かを表現していたように思うのですが、感動するところと首を傾げたくなるところがあって、複雑な心境でした。

武士道精神とは、難しいものだなー・・・・一言で表すことは難しい。

「卑怯なことはいけない」、公平な状態の中で最善をつくす。

勇気を持って堂々と立ち向かう。

おのれの能力を最大限に発揮する。

結果にこだわらず、結果は、いさぎよく認める覚悟をしておくこと。

それらのことに徹する時、<美>を感じるのだなーと、思いました。

 

元旦と二日には、二組の娘夫婦と孫達が入れ替わり、立ち代わり訪れてにぎやかでした。孫は来てよし、帰ってよし! ですね。

明日、四日の朝このメールを送信してから、家内と一緒にお墓参りに行きます。

いよいよ皆様方は、仕事始めですね。

今年一年、身体に気をつけて共々に精進いたしましょう。  合掌

 

2006年 1月 3日 記     鴨宮 弘幸  拝