悠遊自在塾資料 07年2月

<抜粋> 中国の思想 第3巻 孟 子 今里 禎訳(徳間書店)

P21 25       三、 性善説と王道論

 孟子は、徹頭徹尾、戦国の子である。戦国という時代に没入することによって、逆に古典としての永遠の生命を獲得した思想家である。時代に渦まくさまざまの堪えがたい現象の奥底深く流れる、目に見えぬものを見つめた人である。

 現象を現象としか見ないのでは思想は生まれない。現象の奥にある原理をつかむことによって思想が作られ、それによって人は現象に働きかけ、現象を支配できるようになる。孟子はそれを「命(メイ)(天命)と名づけた。

 天命という言葉は古い。中国人が、まだ自然の猛威におののき、その前にひれ伏し、人間の力ではどうにもできぬと考えた、ある支配力に名づけたのがその始まりである。その伝統的観念は、孔子によって一種の道徳律に変えられ、さらに孟子にいたって、天下から個人にまで貫通する原理を意味するものとなった。

 孟子の考えでは、天命はそれ自体で存在するものではなく、人間の行為によってはじめて存在化するものである。天命は宿命ではない。天命を天命たらしめるのは人間の努力なのだ。

 「なすべきことをなし終えて死ぬ人は、天命を正しく受け入れたのであり、刑罰で死ぬ人は、それに反したのである」(尽心)

 ここには、人間の力に対する深い信頼がある。無秩序な社会を作るのも人間なら、理想の世を作るのもまた人間である。この世の中心が人間であるとすれば、人間とは何か、の問題が深く問われなければならない。

1. 性善説

「性」(天性、本性)とは、人間一人一人に与えられている天命であるといえる。

 「天,衆民を生み・・・民は不変の道を歩み,かの美わしき徳を好む」(『詩経』)

 人は生まれながらにして道徳性を備え、善を直覚することができる。

 現実の人間は醜い。特に戦国の世においてはなおさらのことだ。しかし、かれの内なる声は叫ぶのだ。この現実は我慢ならぬ、と。我慢ならぬと叫ぶ心は何にもとづくのか。

 強者が弱者を虐(シイタ)げ<不仁>,下が上を剋(コク)し<不義>,利欲がせめぎあう風潮,それを我慢なるぬと考えるわが心は、あるいは天下の人々の心は、はたして何であるか。これら悪を否定する心こそ、善(仁義)なのではないか。

 この心は天から受けた人間の本性である。天から受けたものである以上、それはすべての人間に備わっているはずである。人はみな努力しだいで堯(ギョウ)・舜(シュン)のような聖人にもなることができるのだ。王侯であろうと賤民であろうと、そこに区別はない。この人間平等観は、のちに述べる政治論に、そのまま生かされることになる。

 人間の本性が善である、という命題は、けっして現代の人間が善であることを意味しない。「性」(個人にそなわる天命)を全面的に開花させるためには、人格完成のための努力が必要である。ここに実践倫理としての孟子独自の修養論が、内省を中心として展開されるのである。

 修養によって「仁・義」の徳を身につけたものだけが、家をととのえ、国を治め、天下を平らかにすることができる。

 「おのれをまげて他人を正した例はない」(滕文公トウノブンコウ)

 天下を平らかにするには、わが身の仁義の心を広く天下に及ぼさねばならない。仁義を天下に施す政治、それが王道政治である。

 

2.  王道政治

 中国の伝統的な考え方によれば、天子は天の命をうけて人民に幸いをもたらすために君臨するものである。天子がその使命を果たせなければ、天によって王朝の交替が行われる。これが「革命」(天が命を革める)である。天下を治めるには天命に従わねばならない。天命は目に見えない。耳で聞くこともできない。しかしそれは厳として存在する。この、天下に行われる天命を、孟子は「民の心」に示されると考えた。支配者は交替すことがある。しかし、人民は天とともに永遠なのである。

 「人民がいちばん貴い。つぎが社稷(シャショク)、君主はそれ以下である。民に信頼されれば天子になれる」(尽心)

   注.  社稷(シャショク) 五穀の神をまつるやしろ。

つまり、 天 → 天子 → 人民=天 → 天子

というサイクルができあがる。

 天子は天命に従って人民を支配する。しかし人民は天の意志を示すものとして天子を支配するのだ。天命にそむく天子はもはや天子の資格はない。追放されてもしかたがない。これが孟子の政治論の基本的図式である。

 天命に従うということは、仁(愛)義(道理にかなう)の心で政治を行うことである。なぜなら人はすべて天から受けた仁義の心を持っているのだから。人民の心にある仁義の心を全面的に開花させること、言いかえれば、人間性の全面的解放が天子の究極の目的である。人民は支配者の贅沢や権力欲をみたす手段ではない。人民それ自身が目的なのである。これが王道政治である。もしその王道が実現されたならば、天下の人民は心から帰服し、天下は治まるのである。

 その第一歩として、孟子は繰り返し民生の安定を主張し、さまざまな方策を提示する。人民はいま禽獣とかわらぬ生活にあえいでいる。この窮状を救わなければ、人間性の解放も空論にすぎない。増産、天然資源の開発、安定した生活手段、軍役・賦役の軽減、租税の減免・・・。これらの主張は、現代の福祉国家にも通ずる新鮮な響きさえもっている。

 しかし現状は、王道政治は失われ、権力による支配=覇道(ハドウ)が横行している。

   注.   <覇道〉力ずくで天下を治めるやり方。

          仁・義よりも武力・権力をたっとぶやり方。 

それでは現在の王侯たちはすべて「革命」すべきであろうか。孟子はそうは言わない。かれは人間は変わりうるものだと確信していた。いまの王侯たちを覇道から王道へ転換させること、孟子が諸国を遊説して、精魂こめて諸侯に進言した目的はそれであった。

 

P37 〜   梁惠王編(リヨウノケイオウヘン)

    仁義こそすべて

 孟子が梁(リョウ)の惠王に謁見した。惠王が言った。

「先生、遠路もいとわず、わざわざおいでくださったについては、さだめしわが国の利益となる妙策をお持ちのことでしょうな」

 孟子は答えた。

「どうしてそう利益、利益とおっしゃるのです。大切なのは仁義です。

 王侯は、国の利益しか考えない。大臣は、一家の利益しか考えない。役人や庶民も、わが身の利益しか考えない。こうしてめいめい利益ばかりを追求しているから、国が滅びるのです。

 万乗の国の王を殺すのはきまって千乗の大臣、千乗の大臣の国の王を殺すのはきまって百乗の大臣です。万乗の国の国で千乗の禄を食()み、千乗の国で百乗の禄を食めば、それでもう不足はないはずです。それに満足せず、国全部を奪おうとするのは、かれらが仁義をさしおいて利益第一に考えているからです。

 仁の心がありながら親をすてた例はなく、義の道をふみながら主君をないがしろにした例はありません。王よ、どうか仁義を口にしてください。どうして利益などとおっしゃるのです」

   

注. 〈梁〉戦国の七雄の一つ、魏の国のこと。当時、都を安邑(アンユウ)から大梁(現在の河南省開封)に遷したので、梁ともいうのである。

     注. 〈満場の国〉戦争のとき、兵車を一万台出す国のことで、本来は天子を指す言葉であったが、当時は大諸侯の国を意味した。

 

【解説】功利主義は両刃の剣である。利益を狙うものは、自分もまた狙われる。弱肉強食の時代にありながら、いや、そういう時代であればこそ、孟子は為政者に高い倫理性を要求する。仁義は、いうまでもなく孟子の思想の根幹であり、全編を貫く主題である。最後のリフレインには、大国の王を相手に一歩もひかず、堂々と仁義を高唱する孟子の気魄と自信のほどがうかがわれる。