悠遊自在塾  交換メール「こころのかたらい」
             2005/07

(鴨宮塾長より)

K.K様  & 敬愛する朋友の皆さまへ

 

台風一過、暑い日が続きそうですね。

皆様は、お元気でお過ごしでしょうか?

 

■ 七月の悠遊自在塾の資料「啾啾吟(しゅうしゅうぎん)」のところで、「隠君子」に三種あり

  と・・話しました。(話したつもり)

 

@ ひねくれ型・・自我の殻にかくれて、自分の環境を作り、

         世を白眼視し、派手に活動している人を誹る。

A 善良型 ・・ 気魄がなく、野心欲望もない、危ない橋を渡るより、

         生計も何とかなるから敢えて世に出ない。

B 聖人型 ・・ 気魄も力量も才幹もあり、悠悠名利を外にして道を楽しむ。

 

王 陽明はもちろんBですが、私はこの三つを行ったり来たりしています。

 

■ 儒教では、治国平天下のために「進んで志を天下に行う」という面と

「退いて心を洗って密に蔵する」という二つの方面があるのだそうです。

後者の方は、「易経」の『繋辞伝(けいじでん)』に、次のごとく出ています。

    『聖人これをもって心を洗い、退きて密に(かく)れ』

  

   ≪ 或る時は志を立てて天下の経綸に当たるが、

     或る時は退いて心を洗うて、そして密に蔵する。

 
私は、はじめて「易経」なるものを紐解いてみました。

そこで中国の『革命思想』なるものを知りました。

 

 『天地(あらた)まって四時成り、湯武(めい)を革めて天に順い人に応ず。

  (かく)の時、大いなるかな。』 (『周易』の革の卦)

 

 ≪天地陰陽の気は(あい) (あらた)まっていくことによって四季の変化を成り立たせ、湯王・武王は命を革めることによって、天の意にそい、人の望むところにこたえた。(かく)が行われるということは、偉大なことである。≫

 

解説:天には万物を支配する天帝がいる。天帝は自ら天下を治めることはなく、人間の中の最もすぐれた者、天の意に添うことのできる者に、代わって治めさせる。

   君主を天子(天の子)というのはこのためである。天子は当然「天に順い、人に応じ」て善政を行わなければならない。もしそうしないときは、それは天の意に反することであるから、天帝はその者をしりぞけて、別の者にかわらせる。すなわち、天命が革まるのである。

   革命とはこのように、あらたに天命を受けたものが、悪政を行うものを倒しこれにかわって善政を行う、ということであるから「革の時、大いなるかな」である。

 

<革の卦>には、「 大人虎変、君子豹変、小人革面 」と説かれている。

 

  大人とは新しい統治者のこと、君子とは知識人のこと、小人とは一般大衆のことである。

   虎変も豹変も同じく、鮮やかに変わるという意味。

 

わが国では「豹変と革面」という言葉は、節操を持たない人をあざける場合に

使われることが多いようですが・・・。

 

しかし、『広辞苑』には「君子は豹変す」とは、「君子の過ちを改めて善に遷るの著明なるにいう」と解説されています。

 

私たちは間違っていた。それゆえに今後はこのようにあらためる。

それが、本当の君子豹変である。

あらためることを正しいこととして、堂々とあらためるのが君子豹変である。

 

儒教を学ぶということは大変なことですね。

漢字の読み方もさることながら、

発想の仕方というか、考え方が根本的に違うのだなーと思いました。

 

まもなく終戦六十年の日を迎える日本ですが、日本人の「豹変」はたいしたものですね!みごとな方向転換をしましたね。

 つまり「君子豹変」を、「小人革面」を、皆でやってのけたのですから・・・。

 

しかし中国人の思考軸からすれば、「日本は間違っていた。それゆえに今後はこのようにあらためる。」ということがないと主張しているのでしょうね。

 

■ 安岡正篤先生は以下のごとくまとめて下さっています。

「日本の国体はあまりに結構で、万世一系の皇室を戴き、単一民族の、単一言語のまことにどうもありがたい国であるのに比して、その正反対が支邦であり、これはご承知のように有史以来、侵略征服、叛乱革命、所謂易姓革命(不徳の天子に代わり有徳の天子が立つ)の歴史で、非常に複雑であり、時に怪奇であり、いわば劇的、ドラマチック・ロマンチックという点においては、支邦・中国の歴史くらい興味深いものはないとも言えます。

 今日時勢がこうなるのには、こうなるだけの久しい由来因縁があるのでありまして、これは談一朝一夕のことではない。(中略)  簡単に答えの出るものではないのでございます。

簡単な間に合わせの政策やイデオロギーなどというもので片付くものではありません。それこそ多くの志士仁人の献靖(心をつくして安らげる)に待たねばなりません。と同時に、一見逆に考えられそうですが、案外隠君子も貴い。隠君子必ずしも隠君子ではありません。隠然としてしかもその化の及ぶこと、下手な功名富貴の士の活動の及ばざるものがあります。大いに功名富貴の士が出でて経綸を行うもよろしい。

 しかし脱然として、それこそ時世に袂を払い、足を濯うて、優游自適するという道もあってよい。さまざまの人材、真剣な学問道風、いろいろ相俟って初めて時勢もなんとかなってゆく。

 今日の様な時世には、どちらかと言うと、名利を追う人間が多すぎるから、少し退いて密に蔵する思想や学問・心境、そういう人物がもっと出る方が、或いは却って世を救うのに役にたつかも知れません。

 

             『人生と陽明学』安岡正篤著(PHP文庫)

                       P.250 〜 P.252より抜粋

 

■ 台風一過の青空の下、書斎の窓の小枝の合間に名も知らぬ鳥が巣を作り、

雛が数羽、黄色いくちばしをいっぱいに開けて、親鳥から餌を啄ばんでいます。

鳥は早起きなんですね。五時前から雛のために働いていましたよ。

巣に入るルート(道順)がチャンと決まっているのですね。

まず私の目の前のベランダに餌をくわえて止まり、テスリの上を左へヒョンピョンと跳ねて移動し、そして右へ急旋回して巣に入ります。

私はクーラーの効いた書斎でタバコを吸いながら、妻が持ってきてくれたコーヒーと菓子パンを食べながら眺めています。今はおやつの時間です。

 

新しい命の誕生とそれを育む努力の姿を目の前で見せて頂いている事に感激しています。

よくぞ私の庭の木に巣を作ってくれてありがとう!

名も知らぬ小鳥さん親子よ、幸多かれ!と祈ります。

元気に巣立って行ってください。   合掌

 

2005.07.28.        鴨宮 弘幸    拝