悠遊自在塾資料 07年6月

<抜粋>  「 いい加減に生きる」   大下大圓著(講談社)

     ――― スピリチュアル仏教のすすめ 33 ―――

P.180〜181   美しい蓮の花がドブ池に咲く意味

  人間は蓮の花のようなもの

 昭和天皇は、亡くなる前年に、こんな句を残されました。

 

   夏たけて堀のはちすの華みつつ

      ほとけのをしへおもふ朝かな

 

 皇居のお堀に咲く蓮の花を見て、仏の教えに深く思いをはせられたことを詠ったものです。昭和天皇は、神道でいえば最高の位を持っている人ですが、「仏陀の教えを思う」といっているところがとてもおもしろいですね。

わたしも、この話しをよく法話で使います。
「蓮の花を見て、仏の教えを思ったという昭和天皇ですが、ところで、この蓮の花というのは、仏教においてどういう意味を持っているかご存じですか」と。

『法華経』というお経がありますが、蓮の花は、その『法華経』の前身になったといわれています。「法の華」と書きますが、そもそも蓮の花はドブ池に咲く花です。インドなどでは本当に汚いドブ池に咲いています。ドブ池に咲いているのに、その花はとても鮮やかで美しいのです。

お釈迦さまは、それを見て説教します。

「みなさん、蓮の花を見てください。どうですか、きれいに咲いていますよね。でも、咲かせている池を見てください。池はどうですか。汚いですね。ではあなた方、人間はどうですか。みなさんの体はきれいですか。一週間お風呂に入らなかったら、どうですか。目くそ、鼻くそ、耳くそ、大小便に至るまできれいなものはなにもないではありませんか。

でも、こころの中に菩提という花、悟りという宝石があるんです。どんな人でも平等にこころのなかにきれいな花を咲かせることができるんですよ」

 

蓮の花を人間にたとえて教えを説いたのです。人間の仏性とはそういうものなのだ、と。

 

 

P.182   逃げずに解脱する生き方

だから仏教の儀式では、香典袋にはじまり、ほとんどの仏事の場面で蓮の花が使われます。あれは全部、「悟り」を象徴しているのです。煩悩のなかに菩提の花が咲くと教えているのです。

 

それにしても、昭和天皇はなぜ、あのように詠ったのでしょうか。きっと、ご自身の人生をふり返って、現人神とたてまつられて、あの不幸な戦争やさまざまな困難に遭遇したことを思い出された。「でも、人生でいろいろなことがあったけれど、自分の境地としては、まさに蓮の花を希求する心境だ」、そんなお気持ちからだったのではないでしょうか。

 

生老病死から、苦しみから逃げない生き方を、あるいは、そこから解脱することを説いているのが仏教です。昭和天皇が最後に求められた心境、それはきっと、2500年前にお釈迦様がたどり着いたのと同じ心境であったのでしょう。

 

ドブ池だからこそ、かえって咲く花は艶やかに美しく輝く――。宗教であるとかないとかそんなものを超えて、わたしたちも共感できるこころのありようではありませんか。

 

ことわっておきますが、昭和天皇を例に出したからといって、私は右翼でも左翼でもありません。またどの思想にも政党にも属していません。なぜなら仏教徒だからです。あえていえば「いい加減党」です。