悠遊自在塾資料                  07年1月



<抜粋> 「和のこころ」で日本人らしく生きる本
  

KAWADE夢文庫   夢プロジェクト[]


P128 因縁 ( いんねん )  因縁に縛られないことこそが、理想の生き方

 鳥取県の民謡「貝殻節」には、こんな歌詞がある。

   何の因果で 貝殻とりになろうた

   色は黒なる 身は痩せる

 海に小舟を漕ぎ出して帆立貝をとる仕事は、きびしいばかりで実入りすくない。どうして、こんな仕事をすることになったのだろう―――という思いが、「何の因果で」という言葉にたくされている。

「因果」とは、「因縁」によってもたらされる結果をいう。「因縁」は、仏教思想における重要なキーワードである。「因」は、物事が生ずる直接的な原因。「縁」は、物事が生ずる間接的な原因をいう。

 しかし、この説明ではピンとこないだろう。時代小説や時代劇には、「前世からの因縁」という言葉がしばしば登場する。そのように、「因縁」は、「前世の自分が犯した罪、失敗の報い」の意味で使われることが多い。「因縁」を「前世の報い」と簡単に理解してもかまわない。もっとも、悪い意味ばかりでなく、「われわれは現世で愛し合ったのだから、その因縁で、来世もきっとめぐり合って夫婦になれる」などともいう。

 「因縁」は、「輪廻転生」とパラレルの関係にある。「輪廻転生」は、一般には、前世で悪事を犯した人は亀や虫に生まれ変わり、前世で善人であった人は人間に生まれかわる、というふうに理解されている。

 これは大きなまちがいで、仏教における功徳(善行による果報)は、最終的にはもはやこの地上には生まれかわらないことを想定しているのだ。つまり、あらゆる原因と結果の輪からのがれた、いかなる「因縁」ともかかわりのない存在こそが、仏教の目指す最終的な境地なのである。

 その境地を「解脱」あるいは「涅槃」という。この世におけるすべての物事は「因縁」によって生まれ、「因縁」のくびきに縛られているのだが、「涅槃」に達した者だけは、そこから自由になることができるのだ。

 釈迦は、死んで涅槃に入ったとされる。それは、釈迦が、その偉業が「因縁」となって幸福な人に生まれかわることさえもない、完全な静寂に入ったという意味である。

 かつての日本人は、そのようにして死を受け入れてきた。「因縁」に縛られないことこそ、日本人にとって理想的な生き方だったのだ。

 

P131   無我   人間は特別な存在ではなく、万物の一部にすぎない

 「無我の境地」は、やたらに使われる言葉だ。とくに、プロアスリートの常套句になっている。

「あのロングパットは、無我の境地で打ちました」

「あの一打逆転のピンチでは、絶対におさえてやろうという気持ちを捨てて、無我の境地で投げました」

 これらの「無我」は、執着を捨てた「無心」の意味で使われている。仏教語を日常に引っ張ってきた言い回しなのだが、じつは、仏教における「無我」には「無心」という意味はない。そればかりか、「無我の境地」という概念さえもない。

 釈迦牟尼の説いた仏教においては、そもそも「諸法無我」なのである。「諸法無我」とは、万物の一切は永遠不変の実体をもたないという意味だ。この理法によれば、人間もまた、絶え間なく流転する自然界の要素で成り立っているのであって、不変の実体をもたない万物の一部にすぎない。この説明でもわかるように、仏教における「我」は、本来「不変の実体」を意味する言葉である。

 釈迦は、紀元前の五〜六世紀に北インドの王族の子として生まれた。本名は、ゴータマ・シッダールタ。釈迦の呼び名は、その王族、シャーキャ族の音写である。ゴータマ王子は、城の外に満ちる貧困と不幸を目のあたりにして二九歳で出家することになるのだが、当時のインドに深く根づいていたバラモン教が、ゴータマの前に立ちふさがる最初の壁となった。

 バラモン教の教典に当たる「ウパニシャット」では、人間個人の奥には永遠不変の「アートマン」がそなわっており、それが、万物の唯一の実態である「ブラフマン」と一体をなしているとされていた。「アートマン」は「我」と訳され、「ブラフマン」は「梵」と訳されている。その二つを一対と考える「梵我一如」が、バラモン教の中心思想だったのだ。

 釈迦は、この思想に大きな疑問を抱いた。なぜ、一切の万物のなかで人間だけが特別に永遠不変の「アートマン(我)」をもっていなければならないのか?そんな考えがあるから、人間は苦しむのではないか?虫のように生き、虫のように死ぬことを恥だと思い、朝露のように死ぬことをはかなく思うのではないか?

 そうして、釈迦は、「選ばれし者」「特別な存在」という重荷からすべての人間を解放するために、「梵我一如」の対極にある「諸法無我」の思想を打ち立てたのだ。

 これは、イエスがユダヤ教に挑んだのと同じくらいに大きな宗教的闘争だった。そうした大きな闘争を通り抜けてこそ、偉大な宗教は生まれてくるのだろう。

 この、人間を特別な存在とは考えないという発想は、仏教を通して日本人のなかに受け入れられていった。和の心には、そんな釈迦の教えもふくまれている。

 

P135  無常  今を大事にし、今をけんめいに生きるための活力源

 二五〇〇年前、釈迦牟尼は北インドのクシナガラにおいて、娑羅双樹のもとで八〇歳の生涯を閉じたとされる。

 死によって、涅槃(無為)に入ったのだ。その死のきわに、釈迦は、つぎのような言葉を残したと伝えられている。

 「わが弟子たちよ、諸行は無常なり。汝らは、不放逸にして精進しなさい」

 この言葉の意味は、盛んに仏教を広めていた頃の釈迦が、弟子達との間に交わした問答と考え合わせると、よく理解できる。

 

釈迦「人の命は、どのくらいの長さだと思うか?」

弟子の一人「ほんの数日の間というものでしょう」

釈迦「おまえは、まだ仏の道を悟っていない」

もう一人の弟子「飲んだり食べたりする間ほど、短いものでしょう」

釈迦「おまえも、まだ仏の道を悟っていない」

三人目の弟子「人の命は、一呼吸の間です」

釈迦「うん、よい。仏の道を悟っている」

 

 人の命は、ほんの一呼吸の間でしかない―――。だから、ひとときもむだにしないで勉強にはげみなさいと、釈迦は、弟子たちに言い残してこの世を去ったというわけだ。

 この教えは、のちに仏教の世界で「無常迅速」の言葉となって定着した。日本に禅道を広めた鎌倉時代の仏僧・道元は、臨終の釈迦が弟子たちに語ったようにして、信徒たちに「無常迅速」の教えを説き聞かせた。

 「無常迅速生死事大というなり。返す返すもこの道理を心に忘れずして、ただ今日ばかりと思ふて時光を失わず、学道に心をいるべきなり」(『正法眼蔵随聞記講話』)鎌田茂雄訳 講談社学術文庫)

「無常」は、万物のいっさいが生滅変化、有為転変をくり返す自然界のことわりを表した言葉である。

 平安時代の歌や鎌倉時代の随筆文学、戦記物語では、「無常」は、うつろいやすい世のはかなさとして表現されている。

 だが、釈迦や道元においては、「無常迅速」の理法は、いまを大事にし、いまをけんめいに生きるための活力源なのだ。

 そのスタンスは、「明日はない、いまこのときしかない、だからこそ一度のもてなしに誠心誠意のすべてをつくす」という、世阿弥の「一期一会」にも通ずるものがある。