悠遊自在塾     
20062資料1-1

 

朱子学と陽明学の違いを学ぶ

☆ ≪抜粋≫ 境野勝悟著「陽明学と禅のこころ」(致知出版社)

P34 P43    (はく)鹿(ろう)洞学(どうがつ)()」と日本の教育

 朱子は、五十歳になったときに初めて、南康郡の長官になります。長官は知事さんのようなものだと思えばいい。彼は「いよいよチャンス到来」というわけで、儒教を持って全国の頽廃した教育を改革しようとします。「知行」と言いまして、知ったことをいのちがけで実行しよう。実行するときには学んだ通りやり切る。その時に「白鹿洞学規」という学規が生まれたのです。

・・・<略>・・・なんと、この「白鹿洞学規」は、日本にほとんどそのまま入ってきて、幕府の藩校、医学校、兵学校、武学校、あるいは国の学校、国学校の玄関にかけられて、重要な学規となりました。わたくしたち日本人は江戸時代三百年、この学規、つまり教育基本法によって教育されました。ですから、近代日本人の教育の歴史を考える場合、朱子学の影響は、けっして見逃すことはできないのです。・・・<略>・・・

まずは、それを読んでみてください。

一、父子(ふうし)(しん)あり、君臣(くんしん)()あり、夫婦(ふうふ)(べつ)あり、長幼序(ちょうようじょ)あり、朋友(ほうゆう)(しん)あり。

一、(ひろ)くこれを学び、審らか(つまび)にこれを問ひ、慎んで(つつし)これを思ひ、明らかにこれを弁じ、篤く(あつ)これを(おこな)ふ。

一、(げん)は忠信に、(こう)(とく)(けい)忿(いか)りを懲らし()、欲を(ふさ)ぎ、善に遷り過ち(うつ あやま)(あらた)む。

一、その義を正して、その()計らず(はか)。その道を明らかにして、その(こう)を計らず。

一、(おのれ)の欲せざる所をば、人に施す(ほどこ)こと勿れ(なか)(おこな)ひて得ざる()ことあらば、これを(おのれ)反り(かえ)み求む。

 

 ちょっとどこかで聞いたような言葉がたくさんあります。これが朱子学の中枢です。皆さんも多かれ少なかれ朱子学の影響で今日まできているのです。これが基準になって家庭でもなんだかんだのお説教がはじまるのです。皆さんの先祖がこればっかりを実践しようとしていたので、遺伝子でこれが伝わっているのかも知れません。この教えは、たしかにいいかもしれないけれども、実行するのは大変です。でも、朱子はぴったりこれに適合した生活をしたのだらか、偉いことは偉い。

  「父子(ふうし)(しん)あり」、父と子の間には、親愛の情がなければいけない。

君臣(くんしん)()あり」、君と臣、いわゆる主従の関係には義理とか忠義を大事にする。

 「夫婦(ふうふ)(べつ)あり」、別というのは、他の男女とは別関係だということ。だから、絶対に乱してはいけない。この時代は、不義密通は死刑だ。

 「長幼序(ちょうようじょ)あり」、僕たちの学生時代でさえ、先輩の言うことには、なかなか反対できなかった。先輩に何か言いつけられたら「はい」って必ず返事をする。口答えすると、「馬鹿野郎、口答えするな」ってバーンと張られる。僕らの少年時代はそうでしたよ。

 「朋友(ほうゆう)(しん)あり」、友達同士は信頼しなければいけない、疑ってはいけない。疑うということは朱子学では悪。

  

 ・・・・・ 中略 ・・・・・

 

 「(おこな)ひて得ざる()ことあらば、これを(おのれ)反り(かえ)み求む」、もし望みどおりに全てのことが行かないならば、すぐさま己を省みて、自分が内省し反省して、その原因や理由を自分だけに追及しろ。「あんたが悪いのよ」と、絶対それは言ってはいけない。朱子学では、「私だけが悪いのよ」と言いつづけなければいけない。

 

P.68 P72  朱子学と陽明学の利用の仕方を知る

 

  私たちはいま日本人として生きておりますが、江戸時代から明治時代、それから昭和時代、平成時代と、日本人をつくる上において、実は朱子と王陽明ぐらい影響を与えた人はいません。特に江戸時代から明治時代までの日本人は、この朱子と陽明との二人によって育てられたといっても、過言ではないのです。戦後はもちろん、完全にヨーロッパとアメリカの民主自由主義の教育思想が私たちの中に入ってきました。が、わたしたちの心の底にはまだこの二つの思想が残っています。しかし、いったいどういう考え方が朱子学なのか、あるいは陽明学なのかが、どうもはっきりしない。多くの人たちが、江戸時代から朱子学と陽明学の影響を受けながら、朱子学と陽明学は違うということがわかっていなかったからなのです。わかっていた学者も、二、三いらっしゃったかも知れませんけれど、大半は陽明学なのか朱子学なのかの区別がはっきりしていなかったのですよ。

・・・・ 中略 ・・・・

 この講座では、朱子学がよくて陽明学が悪いとか、陽明学がよくて朱子学がだめだ、というふうにお話したくはありません。ただ、二つの思想のここがこう違うのだということを、特に誤解されている陽明学に重点をおいてはっきりと区別させておくことは、現代の日本を生きてる私たちにとって、非常に大切なような気がします。

 この朱子学と陽明学はいつの時代になっても、私たちの人間学として非常に肝心なものだと思います。用い方さえ間違えなければ、二つともすばらしい思想です。けっして江戸時代とか明治時代の過去の学問ではなく、むしろ二十一世紀の私たちの人間学としても、有効で、参考になる思想をたくさん持っていると思って、勉強させていただいているのです。

 

P107 P110     もともと、自分が自分でやっている

 

先生(せんせい)曰く(いわ)、知ること無くして知らざる無きは、本體(もと)(これ)(かく)の如し。譬へば()未だ(いま)嘗て(かつ)物を照すに心有らずして、而も(しか)自ら物(おのずか)として照らさざる無きが如し。照らすこと無くして照らさざる無きは、(もと)()()の本體なり」(王陽明「伝習録」)

 

 「良知」というものは、知ることがない。王陽明というのはすごいところを見ました。「良知」には知ることがない、無知。けれども、一つも知らないということはない。つまり、人から教わって知るということはないけれども、いつでも、どこでも何でもぴたりぴたりとやってしまうということだ。

 「良知」の本体というものは、ちょうど太陽のようなものだ。太陽さんはいろいろなものを照らす。けれども照らすという気持ちとか、照らさなければいけない、照らさなければ植物がみんなが枯れてしまう、照らさなければ動物も死んでしまう、だから、照らしているのだというような分別で照らしているのではない。そんな意志はひとかけらもない。太陽は照らしているという意識なんか絶無。太陽は私たちの生活に役に立とうなどとは思っていない。

 しかしだ、何も知らないからといって、実は、何ものにもその豊かなエネルギーの光で照らして、何ものをも、それらしくすくすくと育てているではないか。・・・<略>・・・

太陽は、万物の中に入ってそれを照らして、それらしい花を開かせそれらしい実を実らせている。こんなすばらしい良知の力にどうして感動しないのですか、という問いかけが、陽明のモチーフです。

 照らすという意識がない、育てるという意識がない。けれども、照らさないというものではない、育てないというものはひとつもない。全部育てている。こういうのが「太陽」の本体、「良知」の本体というものです、と結びます。

 朱子学では何か失敗するというのは、四書五経を読んでいないからだ。徹底してよく読めば何でもできるようになるのだ、という。陽明学はそれとは違うということです。わたくしたちの体の中には、無意識、無分別の大自然の生命というものが存在する。天と自分は直結しているのだ。良知が、自然に自分を育ててくれる。こんなすばらしい安心感はないではないですか。生きても死んでも、僕らは天と直結しているのです。

 わたくしたちが、いまこうして生きたり、死んだりするのは、天の良知が生き、天の良知が死んでいるのだ。人間の意識活動とは関係ないものだ。それは、花が咲いて花が散るのを見ればよくわかるでしょう。花が咲いているのは花が咲いているのですか。天地の生命が咲いているのです。花が散るのは、天地の命が散っているのです。

 

P128 P130     表の学問、裏の学問

 

 王陽明という人は、今からちょうど五百年ぐらい前の方で、中国の明の人です。日本で言うと、接収さんとか蓮如さんとか、お茶の珠光さんとか、太田道灌とか、そういう時代の人です。この人は追う陽明から約三百五十年前の朱子、正確には「朱熹」という人の儒学の学問に反対の説を唱えた。朱子の学問は、わたくしの学風とは違うということで、王陽明自身の学問をたてた人です。

 朱子という人は儒学を勉強した人です。儒学というのは今から二千五百年も前に孔子さんを中心にしてまとまった学問で、『孟子』『中庸』『大学』『論語』などです。

 唐の時代、ちょうど日本の奈良時代ぐらいになると、その儒学に禅宗が入る、老荘思想がまじる。仏教倫理も入ってくるので、中国古代の儒教の思想はごちゃごちゃになってしまいます。

 その混迷した儒学に対して、中国の伝統的な儒学の考え方をちゃんとしなければいけないという主張をしたのが「朱子」という人です。

 ししは、非常に強烈に儒教の本質を打ち出そうとしました。彼は、「仏教」「老荘」「禅」などの思想を批判し、あまりにも強引に儒教の本質を抜き出そうとした。そのために、極端な学び方が朱子の中にはどうしてもあるようです。神経質なぐらいに極端、神経質なぐらい真面目人間。

 ではなぜこの講座で朱子学と陽明学を対比して、勉強するかということになりますと、朱子学というのは実は私たちの日本人の教育に強い影響を与えたからなのです。江戸時代から昭和二十年まで、つまり大東亜戦争の終わる直前まで、私たちは実は朱子学中心で教育されたということです。日本人を理解するためにはそれを私たちは考えの中に入れなければいけない。・・・<略>・・・

 が、もう一方で、日本人の教育に影響を与えたのが、王陽明という人なのです。つまり朱子学が表の学問、王陽明の陽明学が裏の学問というような形で、私たちに影響を与えているのです。もう一つ言うと、エリート集団は朱子学、私たち庶民、国民はどちらかというと陽明学で教育されたというふうに考えてもいい。武家は朱子学です。だけど、町人とか農民はどちらかというと(寺小屋で朱子学は学習したけれども)、陽明学的な生き方を学んだ人が多かったということができるわけです。

 

P132 P145  汚れたら洗濯をしなさい

 「則ち(すなわ)(せい)(しょく)()()(まじ)はるも、(これ)天則(てんそく)流行(りゅうこう)(あら)ざる無し」(伝習録)

(せい)(しょく)」というのは男女の愛、男女の関係です。

()() 」というのは利益を喜ぶ心、お金を稼ごうと思う心、お金を喜ぶ心です。 朱子学の方では、「(せい)(しょく)()()」は絶対禁物です。そんなものは、人生を堕落させるとんでもないことだということになってしまいます。

朱子は「()(よく)をもって、其心を(わずらわ)さず」といつています。()(よく)というのは男女の愛欲と同じ意味ですから「その心をわずらわさず」。つまり男女の愛によって絶対に自分の心を煩わさない。これが朱子の考えです。あるいはまた「()(あい)を以ってその正理を失わず」とも朱子はいつています。「私愛」の意味は、自分の好みによって異性を愛すことです。男女がひそかに愛し合うことは、一番自分の心を悩ませるから、その誘惑は、絶対避けよということです。そういう心が起こったら、必ず我慢せよ・・・と。

 いわゆる性欲・金欲を我慢する。そういう心が起こったら、じっと耐えなさい。それを抑えなければだめだ。抑制しろ。これが朱子学の倫理的態度です。

・・・ <中略> ・・・

(せい)(しょく)()()」というものと交わって生きていく。これは決して悪いことではない。これは、天地自然の法則だ。もっと身近に私たちに内在する根本的生命の法則だ。「流行」というのは、そのときその場に従って私たちの生命が潔く「天則」に従って流れ出してくるのだということ。愛情も財欲も「天則」に従って流れ出す。

 皆さんの生き方は、皆さんのご趣味ですから、どっちでも結構です。毎朝早く起きて、朱子学の方で、「私欲をもってその心を煩わさず、私愛をもってその正理を失わず、我慢忍耐抑制」といって一日を生きる方が朱子学です。

(せい)(しょく)()()」の欲望こそ天地自然の流行であると思ってその欲望をうまく使って元気に明るく楽しく生きるのが陽明学的生き方です。どちらがいいか。

それはお好みです。私はどちらがいいとも申せません。

 

P198 P199

 朱子学はすべてを、いつでも二つに見ます。いい悪い、天と地、得と損、好き嫌い。全部必ず一方は切り捨てて、二元対立でものごとを考え、ものごとを処理します。

 しかし、二つのものごとがあって、一つをピンセットでつまみあげ、あとは無視するということになると喧嘩が絶えません。二元対立でものごとを処理したら、必ず争いが起きる。人類の歴史がなぜこういうふうに不幸になっていくか。お前が悪い、俺は正しい、とか、これが悪い、あれは正しいということで二つの考えで対立し、一方を消そうとするからなのです。二元対立の世界からは、争い、悩み、苦しみが常に出てくる。それではいけない。だから、物事を一つの目で見ろというのが、王陽明の良知の学説なのです。

 一切を一つで見る。これがいわゆる「天地同根」ということだ。天と地を二つに見るのではない。上は天、下は地というように二つを対立させて見ると争いが起きてくる。上が高くて下はなんと低劣なことかということになってしまう。天のほうに行きたいとか、いや地上のほうがいいとか、好みによって論争になってしまう。天国へ行けば苦しみはなんにもないよ。霞だけ食べていれば長生きできるよ。すると地上派は、苦しみがあるから楽しみもあるんじゃないか。地のほうはさつま芋でもじゃがいもでもいろいろ食べるものがあって楽しいではないかとなどと言う。天国がいいのか、地上がいいのか、キリがない。

 天地は同じだ。陽明学では「天地同根」。一つと見る。全てを一体の生命とみることによって、私たちの悩み、争い、苦しみ、対立から解放されようというのが陽明学の眼目なのです。陽明学を、けっして過去の学問というふうにお考えにならずに、今日的な私たちの平和をとく鍵として、お勉強なさって下さい。

 

P336 P338  悩みも悟りも一緒

 

 大方の解説を見ても「知行合一」というのは、まず知ってから知ったとおりのことを実行できる人が人格が調和された人だとかいてある。「知ったこと」と「行動がぴったり合一、一致」していれば調和ある人格だと書いてある。こういう解釈では王陽明は、泣きます。「知行合一」というのは、「知」と「行」というものが、普通は二つになっているけれども、そんなものはない。「知」と「行」は分割行為ではない。「知」そのものが「行」であり、「行」そのものが「知」である。つまり、二つは、合流・合体しているのだ。

禅では、これを「色即是空」といいます。「色」と「空」は、天と地のような対立概念です。「色」は煩悩、「空」は仏心と考えたらいい。煩悩と仏心。煩悩がなくなったときに仏心があらわれると私たちは思っている。とんでもない。煩悩とか仏心とか、そんなものは本来ないのではないか。呼吸の中に煩悩とか仏心がありますか。私たちはそんなもので生きているのですか。ひと息出したら煩悩で、ひと息吸ったら仏心ですか。そんなことはないでしょう。

 私たちの命というものは、こんなことはどうでもいいではないかということだ。「色即是空」こんな表現でさえ、くだらないことを言うな。ということになる。けれども、なんとか言わないわけにいかないから「色即是空」という。悩みも仏心(悟り)も一緒だ。つまり、そんなものはないよということ、そういうことにこだわりなく生命は活躍しているということを「色即是空」と仮にいうわけだ。

 

 



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会津藩の教え

☆  ≪ 抜粋   藤原正彦著「国家の品格」(新潮新書)

P47 P48

  江戸時代、会津藩に日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに「(じゅう)の掟」というのがありました。

そこにはこう書いてあります。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三つ、虚言を言うことはなりませぬ

四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ

五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ

六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ

七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

武士道精神に深く帰依している私には非常に納得できるものです。

七つ目を除いて。そして、これら七カ条の後は、こんな文句で結ばれます。

   ならぬことはならぬものです

要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが一番重要です。すべてを論理で説明しようすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬものです」と、価値観を押しつけたのです。

 

P49 P50   重要なことは押しつけよ

 本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押しつけてよい。もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかもしれません。それはそれでよい。はじめに何かの基準を与えないと、子供としては動きがとれないのです。

 野に咲くスミレが美しいということは論理では説明できない。モーツアルトが美しいということも論理では説明できない。しかし、それは現実に美しい。卑怯がいけない、ということすら論理では説明できない。要するに、重要なことの多くが、論理では説明できません。

 戦後のわが国の学校では、論理的に説明できることだけを教えるようになりました。戦前、「天皇は現人神」とか「鬼畜米英」とか、非論理的なことを教えすぎた反省からです。しかし反省しすぎた結果、もっとも大切なことがすっぽり欠落してしまったのです。

 論理ですべてを貫くというのは欧米の思想です。論理で説明できない部分をしっかり教える、というのが日本の国柄であり、またそこに我が国民の高い道徳の源泉があったのです。