悠遊自在塾     交換メール 「こころの語らい」       
                                                      2005/06
                                                   第14回クルーズ

鴨宮塾長さま / 亀海講師さま / リーヴス船長さま /

悠遊自在塾の皆さまへ

 

 皆様、こんにちは。

 昨日の「悠遊自在塾」は、鴨宮塾長さん以下9名の参加で開催されました。

常連に加え、西会津からは多忙な中をAさん、交友関係と携帯電話に多忙な中国のMさん、亀海講師さんとYさんが参じていただき、それぞれの体調に合わせた「外気功」のあと、テーブルを3枚並べて、アグラをかいて、夕方5時まで雑談的な自由トークを交わしました。

 

 塾長さん、亀海講師さん、皆様ありがとうございました。

 

 第二部の割烹居酒屋「千石」での軽い夕食会では、7時過ぎまで皆さんにご参加いただき、幾つか話題をしぼったトークを交わしましたね・・・。

 皆様の喜捨心には、いつもながら感激しております!

 

(以上、参加できなかった方のための概要ご報告まで・・・)

●今回の「悠遊自在塾」では、これまでのメール・トークの中で、また、直接、お会いしての四方山話の中で、それぞれの思考(嗜好・志向・指向・・・)軸に応じて取り組んできた、語り合ってきた物事、事柄が、何となく幾つかのキーワード、フレーズで整理され、一本に通じる課題・テーマとして意識されてきたように(私は)感じました。

 そこで、ご参考までに以下、鴨宮塾長さんのメール(○印)から適宜抜粋させていただきながら、私の仮説(★印)も交えて整理・推論してみます。

 興味のある方は、ご笑覧ください・・・。(出典元は省略)

 

          【明治という時代に学ぶこと】

 

○江戸時代、徳川家康によって「儒学」が取り入れられ、「昌平坂学問所」が設立された。

※ 昌平とは、「国運が盛んで、世の中が平和なこと」(新潮国語辞典)

 

○家康公は、この国に泰平をもたらすため「民を導く武士」を律する教えとして「儒教」を選んだ。

 

○「儒教」は、長い歴史の中で、学問内容が幾つかの流派に分かれた。

 

○家康公は、その一派である「朱子学」を取り入れた。

 

○乱世を治めるには、「力ずく」で秩序を築かねばならない。

 

○それには「朱子学」の<押し付けのエネルギー>が適していた。

 

★家康公は、「武力」による統治から、「思想の力」による統治へと転換したのでは?

江戸時代、宗教政策の基本は、宗教勢力(特に仏教)を幕府の支配機構の中に、いかにして組み入れていくかにあったのでは?

幕府は、寺院の本末制度と檀家制度によって、〔幕府―本寺―末寺―檀家という図式で、民衆を幕藩体制の中に組み入れることができたのでは?

僧侶は、民衆を支配する政治組織の末端を担うことになったのでは?

 

○「朱子学」の影響によって、≪タテ社会≫が日本に確立された。

 

○明治維新は、(西郷隆盛や坂本龍馬など薩長を中心とした)諸藩の下級武士によって成された。

 

○明治六年(1873年)創立の「明六社」のメンバー(10名)は、一人(森有礼)を除いて旧幕臣の下級の人たちだった。

 

○彼らは、欧米に留学して海外での生活体験を積んでいた。

 

○彼らは、江戸中期からの「蘭学」の基礎の上に、改めて「洋学」のもつ科学的合理主義を学んだ。

 

○彼ら「個性豊かな」洋学者の集まりが「明六社」だった。

 

○維新以来、政府は新体制づくりに率先努力してきているが、政府に「専制抑圧」の風を残したまま、なお文明の実効が上がらないでいる。

 

○それは、結局人民が「文明の精神」すなわち<独立自営の気風(スプリット)>に欠け、非科学的迷蒙の域に安住しているからである。

 

○明治10年前後、福沢諭吉をはじめ当時の「賢智ノ徒」と称せられる人たちは、日本を<真の独立>と<文明の域>に導こうとしていた。

 

○彼らは、長年にわたる「権力の偏重」のために民衆のうちに深く根づいてしまった「封建的隷従性」、「無気力」の鉄面皮を打破し、彼らに「学問」、「智徳」の獲得による<自主独立>と<創意の発揮>と<向上>を求めた。

 

○明六社の人びとは、「愚民」と「苛き政府」の両極端への再分裂をおさえ、「良民の上には良き政府あるの理」を日本にも実現しようと努力を傾けた。

 

○日本ではこの「中等の地位(= middle class)」にある学者」こそ、封建的専制にはしりやすい政府を批判し牽制すると同時に、封建的迷蒙に停滞する人民を啓発して「良民」にしたて、日本を真の独立と文明の域にみちびいていかなければならない。それが知識人の責務であり使命なのだ。

 

○内村鑑三・新渡戸稲造が身につけていたものは、江戸文化であった。

 

○福沢諭吉をはじめ「明六社」の人びとが時の「政府」や「国民」に啓蒙したのも、三百年の文化の上に、欧米の文化・思想・科学を昇華しようと試みたのではないか?

 

タテ社会に必要なのは、ヨコに組む人、ヨコへの広がり、ヨコの文化では?

★多くの組織はあれこれ言われながら、封建的タテ意識から脱却できず、もがいているのではないか?

★今、必要、重要、大切なのは横に広がる文化、意識、活動ではないか?

★横への橋渡しが上手な人こそ、今、時代が求めている人、つまりファシリテーター(橋渡し役)ではないか?

★庭野日敬師は、タテ軸をそれまでの宗祖信仰(お祖師さま信仰)から釈尊・久遠実成の本仏まで大きく伸ばされた・・・のでは?

★庭野日敬師は、同時に「宗教協力」「明るい社会づくり運動」「政治浄化」とヨコ軸を各界各層に大きく広げられた・・・のでは?

 

○今後、別の一派(儒教)である「陽明学」との比較研究をしてみたい・・・。

★まずは儒教の概要について、学んでみたい・・・。

 

 

●私の自学自習法は、塾長さんが興味を持ち、関心を寄せているものに少しでも寄り添って見て、聞いて、感じて、自ら味わってみよう、というスタンスです。

 

 味覚力も味わい方も塾長さんとは全く同じにならず、困惑、失望すること多々でしたが、それでも最近は自分なりに得ること、学ぶことが多くなってきました。

 

 私とて、塾長さんと直接お逢いできるのは、月1回の「悠遊自在塾」しかありませんが、その間は、文明の利器であるメールを駆(苦)使して、自分の思考軸の確認・調整を行っています。

 

 もし、お気持ちがありましたら、感想なり、ご意見なり、どんなことでもメールしていただければ幸いです。

もちろん、日常茶飯事のことや、身の回りの自然のことでも何でも結構です。

すべてメル友として、信頼・親愛を深める機縁となることでしょう。

 

 今日は少し堅めかな!?

 

 では亦。

 

 合掌

 2005.6.20 K.K 拝