悠遊自在塾 交換メール          人生放談              2006/02 2


       

Date: Thu, 23 Feb 2006 14:11:08 +0900
Subject: 一本指の謎から

鴨宮塾長さま & 悠遊自在塾に連なる皆様へ

こんにちは。

 こちらでは第1回*議会定例会が始まり、本日は17年度最後の
補正予算の審議が行われ、さきほど終わりました。ホットひと息ついた
ところです。

 18年度の新年度予算審議は、来週から議員による代表質問、個人
質問が議場で行われ、3月中旬まで委員会が開かれます。

 そんなわけで、2月19日の(第21回目)悠遊自在塾の御礼も>ままな
らず、週明けから頭は議会対応バージョンになってしまい失礼
申し上げました。

 先日は、新しく叔母様方の参加もあり、これまた違った雰囲気で
亀海先生の気功が始められ、小池インストラクターさん飛び入りの
ヨガの手ほどき、亀海さんの外気功のお陰様で心身ともリラックスする
ことができました。ありがとうございました。

 ヨガの途中で、時折もれるアイタタ、、、という悲鳴にも似た声に、
同情するどころか、内心ほくそえむ私がいました・・・。(スミマセン)

 今回の講義というかトークを終えて、一番感じたことは、やっぱり
本をたくさん読まれている人には敵わない、ということでした。沢山
ということもそうですが、深く読むという点でも敬服したり、本との
出合いの縁、引き寄せ力の不思議さをつくづく感じ入りました。

 実は、これまで沢山虫歯があるね、って言われるのが嫌で、歯医者を
数年間敬遠してきました。でも今年に入ってから思い立って通い始め、
10回ですっかり治していただきました。

(歯医者に行ったら、大きく口を開けなければ虫歯は治せませんね。
同じように悠遊自在塾に来たら、身も心も自分から開かなければ、大宇宙
・自然の真理・恵みは頂戴できません。)

 そんな気持ちになり、趣味の世界での永年の疑問について、思い切って
塾長さんにお尋ねしようと、刀装小道具の小柄(こづか)という美術品
を一つ持参してお聞きしました。

 「ところで、人差し指で人をさすということは、外国でも日本でも
いけないことなんでしょうか? 実は僧侶が僧侶を人差し指で指している
図柄の小道具があるのですが、見ていただけますか?」

 坊さんが坊さんを指で差す。人を指差すことはイケナイこと!?
 この坊様は、もしかしたら折伏する日蓮聖人のお姿かも知れない。

 なんて思いながら見ていただきました。

 鴨宮塾長さんは、それをひと目見るなり、「あっ、そうだ!」と言って
カバンから一冊の本を取り出されました。

 「ちょうどここに一本指について、こんなことが書いてあるよ。」

 それは最近、致知出版社から取り寄せられた6冊の中の一冊でした。
 (黄色や緑のマーカーがたくさん引かれていました。)

 倶胝という禅僧の一本指の話(公案)のことが出ていました。

(以下は後日ホームページで調べたこと)
>*************************************************************
<1> 公案  倶胝竪指(ぐていじゅし/竪指とは、指を立てること)

 倶胝和尚は、誰が何を問うても、ただ一指を立てた。>
彼に若い有髪の侍者が仕えていた。訪問者が、

    「あなたの師匠はどんな禅を説かれますか」

   と問うと、侍者もまた一指を立てた。これを聞いた倶胝は、刃で侍者の
指を断ち切ってしまった。侍者が苦痛に号泣しながら走り去ろうとした時、
倶胝は彼を呼んだ。彼が頭をめぐらすと、倶胝は一指を立てた。侍者は
忽然として領悟した。

 倶胝はその臨終にあたって、集まった僧たちに言った。

  「わたしは"天竜の一指頭の禅"を得て生涯これを使ったが、使い尽くせ
なかった。」

 こう言い終わって遷化(せんげ)した。
>*************************************************************

 私が永年疑問に思っていた図柄は、<1本指の禅>を表していたので
はないか! 疑問が一挙に氷解したように思いました。

 「日蓮聖人かも知れないけどね。でも丁度この本に出ているね。」

 ムムーン、素晴らしい! このタイミング、この手配!

 人差し指で、人を指(刺)す、という図柄の解釈もできるし、
一本指を立てる、ひとを立てる、という見方もできますね。
(図柄では水平なので指しているように見えますが。)

 ハングアウトホールでの夕食懇談会の軽いひとコマですので、
そんなに力むことはないと思うのですが、やっぱり思うこと、胸に
溜まっていること、感じたことは、素直に塾長さんに申し上げて、
コメントをいただくことがどんなに素晴らしい次の展開を生むか
を体験させていただきました。

 それに禅の公案というものについて、初めて知りました。
 (有るということは知っていましたが・・・。)

 そんなわけで、現代の文明の利器であるパソコンを駆(苦)使?
しながらでも、メールで胸襟を開いて皆さまとこれからも語り合い
たいと思っています。

 長くなりました。今日はこの辺で。

 先日の御礼まで。

 合掌

 2006.2.23 K .K



   


                                                   (鴨宮塾長より  返信メール)

敬愛する悠遊自在塾の皆様方へ

今日は、雪の会津で温泉につかっているはずでした、が・・・、
Tさんのお母様が亡くなったので、急きょ中止になりました。
人生、何が起こるかわかりませんね・・・。

去年のいつでしたか?・・・ 悠遊自在塾に会津七人衆が参加された時、
Tさんが、涙ながらにお母さんの話をされたことが思い出されます。

プリンターのインクが無くなっていたのでイトウヨウカドーに買いに行きました。
ついでに、ぶらりと本屋さんをのぞきました。
そこで、「生きて死ぬ智慧」という般若心経の本にめぐり合いました。
柳沢桂子さんという人の書かれた心訳「般若心経」です。

彼女は、当代日本を代表する生命科学者にして歌人だそうです。
1938年東京生まれです。
原因不明の難病で35年以上に及ぶ闘病生活を過ごす。
現在、脳脊髄液減少症と診断され治療を受けている。と、いう人です。

私はひきつけられるようにその本を手にしていました。
先の悠遊自在塾で≪二元対立でものを考えない≫ことを学びましたよね。
「色即是空」という般若心経の言葉も出てきました。
そんなこともあって、会津に行く前にこの本に逢わせて下さったのでしょう。
(結果的には、会津には行けませんでしたが・・・)

その本の「あとがき」の一部を紹介しますね。

☆  私は、釈迦という人は、ものすごい天才で、真理を見抜いたと思っています。
 ほかの宗教もおなじですが、偉大な宗教というものは、ものを一元的に見る
 ということを述べているのです。「般若心経」もおなじです。
    ・・・< 略 >・・・
  あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。
 物も分子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。
 一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。
  このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着するということがなくなり、
 何事も淡々と受け容れることが出来るようになります。

  これがお釈迦さまの悟られたことであると私は思います。
 もちろん、お釈迦さまが原子を考えられておられたとは思いませんが、ものごとの
 本質を見抜いておられたと思います。現代科学に照らしても、釈尊がいかに真実を
 見通していたかということは、驚くべきことであると思います。
     文・柳澤桂子「生きて死ぬ智慧」(小学館)  <あとがき>より抜粋

私は感動しました!
般若心経がこんなに解りやすく、スッキリと心の中に入ったことはありませんでした。
是非とも皆様方とも分かち合いたいと思っています。

● Kさんの「一本指の謎」からのメールについて・・・

 皆さまのために、Kさんにご覧頂いた本の部分を掲示します。

  『倶胝和尚にある僧が「仏法とは何だ」と言ったら、パッと人差し指を出した。
  これが仏法なんだと。何故か。人差し指は一本だけども、これはこれとして、
  本当に「天上天下唯我独尊」として働いている。なんの優越感も劣等感もなく
  他とは関係なく、かつ、他とよく協力協調して、常に自立的に働いている。

  わたくしたちの常識分別というのはいつもあれこれと比べる。そうするうちに、
  人差し指は次第に劣等感を持つことになる。人差し指は中指より背が低い、
  親指は太ってて堂々としていいなあ、それにくらべて私はほっそりと痩せている。
  こういうふうにして、両側の指と比べたら、次第に分別の世界のとりこになって
  不安とコンプレックスがわいてきて、悩む。が、人差し指は人差し指一つで生き
  ているということになれば、なんの不満不安もない。

   スイッチのボタンは必ず人差し指で押す。ものを鉤で引っかけるときに、
  中指だけではやらない。ちゃんと人差し指で引っかける。封筒に糊を塗るときも
  人差し指でやる。親指ではやらない。人をさすときにはちゃんと人差し指でやる。
  間違って薬指なんかは出ないものです。これは人に教わったことではない。
  知恵で考えてやっているのではない。だれに教わらなくても、スイッチを押す
  ときにはほとんどだれもが人差し指で押す。そういう共通のすばらしい命のあり方
  つまり「良知」について関心を持つことが、王陽明の人生哲学です。

  あれこれ差別して分別する人知ではなく、平等絶対の良知に落ちつけば、この人差
  し指に何の不満や不安があるのでしょうか。
  「天上天下唯我独尊」とはそのことを言っています。
       <引用>  境野勝悟著「陽明学と禅のこころ」P.91〜P.92

この世に存在するものは、すべて尊いものである。と、知ることが仏教である。
と、いうことなのでしょうね。


皆さまのご健勝をお祈りいたします。 合掌

2006.02.25.      鴨宮 弘幸   拝


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