| 人生放談 | 2007年2月 鴨宮塾長メール |
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敬愛する悠遊自在塾の皆さまへ 東京では初雪も降らずに春二番が吹き、東北ではスキー場が雪不足で閉鎖され、ゴルフコースが一ヶ月も早くオープンしたというニュースが流れていました。世界各地でも異常気象の被害が起こっているようです。
皆様方には、本当にお忙しそうで何よりです。
(便りのないのは、良い便り・・・?)
そんな中、Yさんからご返事いただき、うれしい思いで一杯です。
孟子の言葉とは知らずに、ことあるごとに心につぶやいていたのですから・・。日本人である私のDNAの中に、この言葉が刷り込まれていたのでしょうね。
今年の年賀状に「鴨宮さんの周りにはいつも人が寄っていらっしゃるのでしょうね」と、書いてくださった方がいました。
そうなんです。
組織の中にいた時は、いつも人に囲まれて<悦>になっていた私だったのです。 自分の力で人が集まってくると思い込んでいたのですね。
だから人が来なくなったり、遠ざかると寂しい気持ちになるのです。
ところが「武士は食わねど高楊枝?」で、自分から発信・行動はしない。
そんな、意固地な態度を取り続けていたのです。
それを正当化するために『去る者は追わず・・・』と、粋がっていたのです。
本当は、寂しくてしょうがないのにね・・・。
この根性は直りそうもないので、死ぬまで続けることでしょう。
しかし、このたび『孟子』を拝読して自覚いたしました。
「最大の楽しみ」と題して次のような言葉に出会ったからです。
あらゆる道理はすべてわが心に備わっている。心に省みて誠なりと確信できる、
これこそ最大の楽しみである。しかもその誠の心でつとめて他人を思いやる。仁を体得するのにこれほど手近な方法はない。(尽心篇)
<中国の思想 第3巻 『孟子』 今里 禎訳(徳間書店) P.296>
相手がどんな気持ちで去っていこうとも、誠の心で思いやる。いつまでも・・・。
それが<仁>を身につける一番の方法であると・・・。
日本人の美しい和の心は、ここから来たのではないでしょうかね。
私も、ようやくそのような心境を目指す「歳」になったのでしょうか?・・・ね。
そんな気持ちになっていたのが、二月二十三日のメールだったのです。
他人から評価される「喜び、楽しさ」を求めていた自分だったのではないかと。
それを求めれば求めるほど、挫折の繰り返しになるのではないか・・・。
虚しさと寂しさがつきまとう。人生とはそんなものではないのでしょう。
まさしく、愛別離苦・怨憎会苦の世の中なのですね。
だからといって世の中を恨んだり妬んだりするのでなく、こころ豊かに穏やかに明るく楽しく生きる術はないものでしょうか。
それに、孟子さんは下記のような答えをしてくれました。
誠の心でつとめて他人を思いやる。
仁を体得するのにこれほど手近な方法はない。(尽心篇)
自分の説が他人に認められても恬淡であれ、
認められなくてもまた、恬淡であれ。
自分の徳を大切にし、義であることに喜びを感じていれば、
恬淡になれる。 (尽心篇)
恬淡(テンタン)とは「心が静かでさっぱりしているさま」と、漢和辞典にありました。『孟子』を拝読したお陰で、私の目指すべき新しい目標を頂いた感じです。
「誠の心」と「仁義の心」と書いて・・・。あれ! なんか違うな〜!・・・。
この言葉からのイメージは、新撰組と***の世界を想像しちゃう・・・。 これが現代日本人の理解になっているのではないでしょうかね。
孟子の言っている「誠の心」と「仁義の心」とは、法華経で説かれている、
慈悲仁譲・志意和雅にして能(ヨク)菩提に至れり」(法華三部経 P.231)
この言葉の方が的を得ているのではないか、と思うのですが・・。
このことは、二月の悠遊自在塾で話したことですが・・・。
皆様方は、どのようにお感じになりますか?
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